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欧州1937?1939 外交戦

イギリス首相ネヴィル・V・チェンバレンの手記:

1937年から39年にかけては軍拡競争と外交戦争の時期だった。

まずはバルカン半島の侵攻路とブルガリアの封じ込めの為、ユーゴスラビアに外交攻勢をかけた。ドイツの脅威に脅えるユーゴは1938年3月に連合国に加盟。
しかし6月にはポルトガルが枢軸国に参加を表明し、連合陣営に衝撃が走った。イギリス・フランス・スペイン軍の共同作戦で西部戦線に当たろうという計画は早くも崩れ去る。
さらにドイツはオーストリアを無血併合する。大ドイツが成立し、それを成し遂げたヒトラーのカリスマに国民は熱狂した。もはやドイツ議会は独裁者に賛成するだけの飾りとなっていた。
孤立主義に傾倒しているギリシアにはクーデターを扇動するも失敗。

私の懸案はイタリアのムッソリーニの動向だった。エチオピアを併合し、国際的非難を浴びた同国だが、スペイン内戦で義勇兵を送り失敗したのが響いたのか、トルコやユーゴスラビアの連合陣営参加に脅威を感じたのか、領土要求をしていたアルバニアにも手を出すことは無かった。

10月に入り、私はパレスチナのアラブ人国家の独立を承認した。ユダヤ人達のシオニズム運動の中に潜む狂気に危機感を感じたのだ。
トルコとの協調、エジプト・パレスチナの独立承認は国内では様々な論議を呼んだが、アラブ民族の好感を得ることに成功した。1939年にはサウジアラビアが連合に加盟することを承認し、中東諸国は連合してエジプトの要衝スエズとアレクサンドリアの守備を担うことになる。

1939年になるとドイツはチェコスロバキアを併合を狙い、要求を突きつける。チェコはこれを拒絶し、枢軸軍はチェコに宣戦を布告した。
ドイツとハンガリーに挟まれたチェコは善戦するが、アドルフ・S・ヒトラーの率いるドイツ軍の敵ではなかった。戦争中に突如ポーランドがドイツに宣戦布告。横面をはたかれたドイツだが、チェコ軍が壊滅すると軍をポーランドに進める。ポーランドは堪らず、ダンツィヒを含む多数の領土を明け渡し講和した。
思えばこのときがドイツを刺す絶好のチャンスだったかもしれない。しかし我が軍はまだまだ態勢を整えきれず、宣戦布告に動き出したときにはチェコは壊滅していた。

1939年7月…
おそらくは今年か来年には再び世界大戦が起こるだろう。
それは前大戦の規模を遥かに上回る、人類すら危うくする最終戦争だろう…
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