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カウナス戦役 - 6

 ゲーベンバウアー侯爵は疲れていた。彼はもともと執務は代官に任せることなく自分で執っていたし、数字と感情を刷り合わせる能力に長けていた。そして何より領民を愛していた。
 一通りの書類を決裁すると、彼は窓から見える天気の変化に目を凝らした。
「…雨か」
 このところは彼の感情を表すかのように天気は曇りがちだった。農作物の為には雨は欠かせないが、侯爵には天の涙を連想させた。

「…お目覚めになられました」
 執務室に入ってきた侍従が囁いた。侯爵は一瞬何のことか解らなかったが、すぐに銀髪の少女を思い出した。降りしきる雨の中、屋敷の庭の中で気を失っていた少女を使用人が発見し、保護したのはつい昨夜のこと。
「お呼び致しますか?」
「いや、わしが行こう。倒れていたものを呼びつけるわけにもいくまい」
 また問題が起きなければいいが。彼は悲観的に思案した。


 部屋の中には青のドレスを着せられた美姫が使用人に髪の手入れをされていた。まだ十五、六といった歳の頃だが、物憂げな表情で姿見を眺める様はぞっとした色気を醸し出していた。
 使用人達がうやうやしく礼をして部屋を去る。
「名は、なんと言う?」
「茜です。山下茜…」
 珍しい名だな。と、尤もな感想を抱きつつ。
「そなたの家は?」
 彼女は暫く逡巡すると逆に問うた。
「ここは、何処なんですか?」
「ベイロス帝国のカウナス州。領主であるわし、クラウス・ゲーベンバウアー侯爵の屋敷だよ」
「今は、西暦何年?」
「西暦? …帝国暦では1025年の10月だがね」
「…これは夢?」
「現実だ」
「そうですか…」
 ではなぜ言葉が通じるのだろうか?
「…多分、家はもう無いです…」
 まるで別の世界から来たかの様な受け答えだな。
 空は暗く、雨音がさらに激しくなった。
「…では、家に帰りたいのかい?」
 茜姫ははっと侯爵を見やった。縮こまるように身体を抱くと、半ば目を逸らしつつ答える。
「いいえ」
「何故?」
「元の家には、居場所がありませんから」
「そうか」
 白い髪に白い肌、そして赤い瞳の白子。迫害されて育ったのだろうか?
 だが興味を惹かれたのも事実だった。本来ならそんな余裕は無いのだが、侯爵は少女を傍に置くことに決めた。
「安心するがいい。今日からここがそなたの家だ」
「良いのですか? 置いていただいても…」
 問題ない。と言おうとして侯爵は思案した。問題は有った。この娘が漁色家のルベルの目に留まることは確実だ。
「…そうだな。わしの愛妾ということにしておこう。それならば誰も手出しはできぬ」
「…愛妾?」
 その言葉は十五歳の彼女の精神に、劇薬のように作用した。言葉の意味を知らぬほど子供ではない。権力者の愛人。椿姫。日陰の恋。背徳の響きが彼女に染み込み、変質させていく。
「有難うございます。えっと…」
「クラウス・ゲーベンバウアーだ。侯爵と呼ばれている」
「はい。クラウス様」
 礼儀作法の心得など無い様子だったが、ドレスの裾を摘まんで優雅に一礼した。不安げな表情は消え、代わりに寂しげな笑顔が浮かんだ。
「ネージュとお呼びください。クラウス様」
「ネージュ?」
 雪という意味か。
「茜という名前は捨てました。ここにいるのはクラウス様の愛妾です」
「親に頂いた名前を捨ててよいのか? 唯一そなたが、元の家にいたと証明するものだぞ」
「…構いません」
「ではわしは覚えておこう。ネージュよ」
「はい。クラウス様」
 侯爵が窓際に立つと、雨音は次第に止み、雲の間から弱弱しい秋の陽光がのぞき始めた。そうだ、止まない雨は無い。
 ルベルやリューゼルにどう説明しようか…。と思案に暮れていると、ネージュに腕を取られた。
「キスしてください」
 じっと瞳を見つめながら、身を寄せて囁く。
「…キス?」
 四十も歳の離れた娘に手をつけるつもりなど無かったのだがね。
「愛妾になる儀式です」
 甘い花の香りがふわ、と顔にかかる。
「ファーストキス」
 侯爵は姫の片に手をかけた。
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