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赤と白の夜想曲 - 2 -

 沢山の人間たちが鉄の鎧と兜に身を包み、ある者は馬に乗り、ある者は徒歩で、槍と銃と旗を携え、隊列を組み進んでいく。
 後方では軍楽隊のドラムやトランペットの音が兵士達の士気を鼓舞していた。
 彼らの頭上を火砲と魔法が飛び交い、城壁と城門を揺らし、傷つける。
 城壁上からは雨のように矢と鉛玉と稲妻が降り注ぎ、彼らの進撃を阻む。だが勝利を確信している軍勢を止めるのは容易なことではない。
「元々モスコーの城壁は低い。帝国の中心として戦乱とは無縁に過ごしてきた」
 ベルトリッチは城壁の上から戦況を見やり、人事のようにネージュにそう解説した。
「中でも最も手薄なのはこの聖レニーン門だ。他の門と違い出城も堀も無い」
「それって、欠陥住宅じゃない」
 戦場にはおよそ不釣り合いな白いドレスの姫がそう感想を述べる。
「寺院区画への門なのでな。外見さえ良ければ実用性は二の次だったのだろう」
「どうするの?」
 梯子やロープを掛け城壁をよじ上ってくる敵兵たち。
 鈍い音を立てて破城槌が城門を叩いた。
「決まっている。攻撃に対して、こちらの損害以上の損害を相手に与え続ける。それだけだ」
「閣下!」
 味方の叫びに振り向くと、城壁の一角をよじ上りかけた敵兵が弩を構え二人に向けているのが見えた。
 同時に弩から矢が放たれ、唸りをあげてベルトリッチの胸へと向かう。
 そして赤の将軍を庇うように前に出たネージュの目の前で、弩の矢が在らぬ方向へと弾かれた。
「––!?」
 あまりの不条理さに驚く敵兵を尻目に白の姫は手をかざし、手首をくるりと回した。手の平に人魂の様な炎が現れる。この世ならざる降魔の炎。
「––インシェネレート」
 手首を優雅にもう一回転すると、炎は敵兵に襲いかかった。兵士は炎に包まれ、もがきながら地上に落ちていく。
 ふう。と、ネージュは絹の手袋を見やり、熱で溶けていないことに安堵した。
「もう戦わないのではなかったのか?」
「いいのよ」
「……そうか」
 さして興味の無い様に装って、ベルトリッチは指揮に復帰した。
 ついに城門が突破されたという報に、赤の将軍は城壁を降りて愛馬に跨がる。
 気がつくと、赤く輝くルビーの魔槍が彼女の手に握られていた。
「私は行く」
「行くって……。私を戦場に置いていくの?」
「お前を殺せる人間などそうはいない」
 不平を漏らすネージュをあしらい、ベルトリッチは兜の緒を締めた。かけ声とともに軍馬がいななき、手勢をつれて戦場となった市街に消えていった。


 自分は何故ここにいるのだろう?
 城壁の上から沢山の人間達が殺し合っているのが見える。
 この世界では強者は弱者から土地を奪い、財産を奪い、命を奪い、奴隷にして栄光を得る。そしていつかはさらに強いものに打ち負かされるのだ。やっていることは騎士も山賊も変わらない。
 あのベルトリッチも自分から恩人や友人や恋人を奪い、戦利品として自分を奴隷にした。
 世界は十分に豊かで美しいのに、戦が無くなる気配はない。
「……ふう」
 ネージュは考えることをやめた。あまり頭がいい訳でも無し。今は生き残ることが先決。そして同時に、先ほどの<火葬>の魔術の影響か、ネージュは身体の奥に暗い官能の炎が燻り始めているのを感じていた。
 手を胸に当て、目を閉じる。意識を研ぎ澄まし、欲望を魔力に昇華させる。

「––強大なる竜帝、空を往き、疫病公の黒き風が地を覆う」
 戦場に歌姫の歌が響く。

「––死と災禍は全てを呑み込み、抗す術も希望もない」
 悲鳴も怒号も、火砲も魔法も、馬の蹄も軍楽隊もその歌をかき消すことはできない。

「––立ち向かう勇者よ、隣の友の顔を見よ。よく覚えておくのだ」
 <魔歌>の歌声はゆっくりと兵士達の精神に浸透していく。

「––親友の顔を見るのは、これが最後になるかもしれない」
 不思議な高揚感が兵士達を包む。城壁で歌うネージュに矢と弾丸が殺到するが、一つとして歌姫を傷つけることはない。

「––見えざる死神の鎌が、その命を刈り取ってしまうかもしれない」
 歌詞自体は皆が知っている。帝国第四軍の軍歌だ。

「「––けれど私は知っている。真の勇者は、死など恐れぬことを!」」
 ベルトリッチの声が歌声に重なった。

「「諸君、勇者となる用意はいいか––」」
 <魔歌>の完成とともに、ベルトリッチが兵士たちに攻撃命令を下す。
 恐怖も、疲れも、痛みも、餓えも、乾きも、良心も、戦いへの疑問すら歌によって麻痺された兵士達がときの声を上げる。
 死の歌声が響く市街の中で、突入した辺境軍と狂兵となった第四軍が激突した。
 優勢のはずだった辺境軍を待っていた運命は、一方的な殺戮。
 ほどなくして戦場となった赤の広場は、その光景を文字通りに再現することになった。
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赤と白の夜想曲 - 1

 帝国暦1026年9月。

 この帝国歴という暦も、今や過去の物になりつつある。
 偉大なる古き帝国は内部からの矛盾と腐敗、皇叔の叛乱、属領の反抗、近隣諸国との紛争、魔族の侵入、うち続く天災…ありとあらゆる災禍によって疲弊し、その全盛期に比べ大幅に勢力範囲を狭めていた。
 二十万の人口を擁する帝国最大の都市にして経済の中心地たるここモスコーも、今や叛乱勢力に包囲され孤立している。
 モスコーを守るのは民兵を含めても一万程度の軍団。
 雷をまとった不死鳥の旗を掲げた彼らは帝国第四軍という。
「ヘリケルザムめ。…今はカムブレンシスだったか。平民上がりめ」
 その第四軍の司令官マリア・ベルトリッチは物見の塔から外を見下ろし、無感情にそう呟いた。
 寄せるのは色とりどりの叛乱諸侯の旗。数だけで守り手の数倍であり、諸侯の軍勢を纏めているのは炎をまとった狐の紋章。帝国でも最精鋭と呼ばれる第六軍の旗である。その光景は誰の胸にも、帝国の終焉の予感を感じさせた。
「…さりとて良い知恵も無し」
 深紅の軍衣に身を包み、炎の女とも鉄の女とも呼ばれた彼女だが、その思考は凍てつく帝国の冬の様に冷徹に…いかに効率よく敵と味方を殺すか。そしていかに玉砕まで時間を稼ぐかという負のベクトルに計算を走らせていった。
「いざとなればモスコーを灰にすることも考えねばなるまい」

 状況は極めて悲観的だった。
 諸侯軍は魔法や火砲の届かない位置に陣取り、モスコーへの封鎖を行っている。
 包囲される直前に近隣から物資の徴発を行い、ある程度の食料の蓄えを確保したものの、多すぎる人口を抱えるこの都市は包囲が長期に及べばたちまち飢えるだろう。
 第四軍の練度や士気は衰えてはいないもの、動乱初期から連戦、転戦を繰り返し、そして運悪く苦戦と敗戦を迎えており、騎士達、兵士達には疲労の色が濃い。
 そして帝都からの連絡は途絶えたままである。

 塔から降りた将軍を五、六人の騎士達が出迎えた。第四軍古参の千騎長や百騎長達が彼女の指示を待っていた。それぞれの報告をもとに新たな指示を下しつつ、ベルトリッチは気づいた。
 夕暮れのモスコーに響く妙なる歌声。
 ベルトリッチが傍の騎士を見やると躊躇いがちに彼は答えた。
「…姫です」

 不安。悲しみ。恋心。希望。安らぎ。
 魔力を纏った歌姫の歌は遠方まで届き、聞く者の心に浸透する。
「…何をしている」
 歌が止まり、豪奢な白髪が揺れ、血のように赤い瞳がベルトリッチを捕える。
「見れば解るでしょう? 歌を歌っているの」
 ネージュ。
 失うものしか無かった一年前のカウナス侯領の叛乱鎮圧での、唯一の戦利品。
 魔族の姫君と言っても信じられるほどの美しい少女。
 魔族の、とつくのはその人間離れした風貌から。
「安易に<魔歌>を歌うなといつも言っている」
「だって歌姫ですもの」
 白いドレスの少女は悪びれずにそういうと、赤い軍衣の女の手を取った。少女はベルトリッチを恐れない。
「帰りましょう。おなかすいちゃった」
 ベルトリッチは何か言おうとしたが、代わりにため息をついて歩き始めた。
 彼女は気づいてもいなかったが、ネージュの歌は確かに心地よかった。

カウナス戦役 - 21

 深夜。
「いずれにしても」
 老侯爵はジャムを紅茶に入れ啜りつつ言った。
「ベルトリッチは召喚拒否を見越して準備をしているのだから」
「時間を稼がなければならない」
「ですが…!」
 なにか言いたそうなルベルを制して老侯爵は結論付けた。
「対案が無い以上。もう決まりだ」
 ゲーベンバウアー侯爵は机に突っ伏して熟睡しているリューゼルを部屋に連れて行くようルベルに指示すると、席を立った。


 今日は遅くなってしまった。
 政務の片付けもそこそこに、老侯爵は疲労感を背負って寝室の扉を開けた。確実に帝国の監視の目が増えている。政務を疎かにはできなかった。
「まだ起きていたのか?」
 侯爵はベッドに腰掛けると先住者である愛妾に声をかけた。勝手に寝室に入ったことはあえて問わないことにする。
「はい、クラウス様」
 眠そうな少女の声。そういえば、この子にも伝えなくてはな。羽毛布団を被り、目を閉じながら老侯爵は先ほどの会議の決定を伝えた。
「明日、わしはアヒカールへ行く」
「遠いの?」
「……ああ」
「私もついていきます」
 ごく当然のことを言うようにネージュはそう言った。
「遊びに行くのではないのだ」
「それは、解かっています」
 少女は老人の手を取った。しわがれた手に愛おしげにキスをする。
「……離しません」
 ぞっとするほど妖艶な、恋する乙女の台詞。説得するには骨が折れそうであり、そして彼は疲れていた。
「ネージュよ」
(女連れであれば、警戒も幾分薄れるかも知れんな)
 少女の髪を撫でながら、老人は前向きに考えることにした。
「お前が望むのであれば、ついてくるがいい」
「はい、クラウス様」
 ネージュの表情に花のような笑顔が広がる。
 優しげな笑顔を返しながら、侯爵はもうひとつ考えたことがあった。
(カウナスにいるよりも、ベルトリッチの下にいるほうがこの子の為になるかも知れん)
「……もう寝なさい」
 自分の手を握ったまま幸せそうに眠る白の姫を見やりつつ、彼も闇の世界に落ちていった。

カウナス戦役 - 20

 ネージュはそれ程現状に満足しているわけではなかった。
 この世界での自分は姫君である。電気もガスも水道も無い世界だが、使用人に囲まれ不自由はしていなかった。義務教育は礼儀作法や舞踊や教養の稽古に取って代わったが、退屈だと感じることも無かった。
 だが彼女の庇護者たるゲーベンバウアー侯爵は彼女の傍にいる訳ではなかった。
 いつも書類に囲まれて、そうでなければ複数の臣下に囲まれて、目を瞑り皺を寄せながら指示を出している。遊んでくれとも言えず、使用人の役目を奪ってお茶を差し入れるだけで我慢しなければならなかった。
「今は大変な時期ですからなぁ」
 ルベルが笑いながらそう誤魔化した。拗ねて見せると帝国本国の内乱鎮圧の為に四万人徴兵するのだと掻い摘んで説明してくれた。
「それが終われば、クラウス様は休めるの?」
「……終わればそうでしょうなぁ」
 政治の話になるとルベルもリューゼルも曖昧な話しかしない。
 仲間外れにされている様な感じで彼女は不機嫌だった。


 月明りが部屋を照らす。
 ネージュが元居た世界の月よりも、数倍は大きく明るい月。
 不気味なほど大きく、禍々しく、美しい満月。
 月明りの下で、一人でステップを踏んでみる。数日前の宴の時はアクシデントで踊ることができなかった。
 金の髪飾りを着けてから、視力が良くなった気がする。
 振り付けを確認するために、彼女は部屋の姿見に目を遣った。
 ――失敗だった。
 鏡の中の美少女と目が合った瞬間、目を離すことが出来なくなってしまっていた。
 自分自身でさえ見とれてしまう、清楚さと魔性の美貌。真っ白な長い髪が、月光に照らされて発光したかの様に輝く。青白い肌。深い真紅の瞳。
 まるで悪魔のように。
「……可愛い。素敵よネージュ」
 いつか聞いたことのある台詞を口ずさむ。
 自分の口から出た言葉が、白の姫の精神を震わせた。自分の中に眠っていた何かが目覚めていくような感覚。
「……可愛い」

カウナス戦役 - 19

 暗闇の中で足音が聞こえ、囚われの暗殺者は目覚めた。
 時間の感覚など判らないがルベルのいう翌日とやらが来たのだろう。
(四人か)
 足音から人数を判断する。斬首か絞首か火刑かは判らないが、大人しく受ける気は無かった。
 靴の裏から鋼線を取り出すと、目を瞑り隠惑の魔法を思い描いた。
「幻惑候Sigismundよ、汝が姿を我が物とせよ」
 魔法の祝詞は精神集中の為の定型文だ、実際に悪魔が力を貸すわけではない。少なくともγはそう聞いていた。触媒の指輪は奪われていたが、いつも以上の魔力の放出の感覚を感じ、γは目を開いた。
 近づいた足音が止まった。鉄格子の向こうにカンテラの光に浮かび上がった人影が四つ。
「時間だ、起きろ」
 いつもの看守が牢の中に告げる。
「まだ寝ているのか?」
 看守が鉄格子の傍まで近づいた。彼の腰に鍵束があるのを確認すると、γの手から鋼線が舞った。
(起きてるさ)
「な……う?」
 何が起こったのかも理解できていない看守に対し、γは彼の首に巻きついた鋼線を更に締め上げた。崩れ落ちる看守。
「貴様!」
「何を!」
 男達がざわめき、腰に帯びた剣を抜きボウガンを構えた。カンテラを掲げて牢の中を伺う男達。鉄格子越しに撃ちもせず切りかかってもこないのは慎重なのか。
(……まだ隠惑が解けていないのか?)
 看守を絞め殺した際に魔法への集中は失っていた。本来ならばたちどころに姿が現れ、自分に斬撃が殺到するはずだった。
 が、男達の視線は光に照らされた自分を見ていなかった。
(それなら都合がいい)
 γは昏睡した看守から鍵を奪うとそのまま鍵を開けた。一人が無きに等しい気配を頼りに剣を振り回す。だが直ぐに彼は看守と同じ運命を辿った。
(ついてない役回りだったな)
 見当外れの場所に狙い撃ったボウガンの矢が壁に突き刺さる。
 同時に暗殺者は落ちた剣を拾い、壁を蹴り射手に斬撃を放つ。汚い悲鳴と血しぶきを上げて射手は絶命した。
「くそっ!」
 最後に残った男は剣とカンテラと仲間を捨て、背を向けて走り出した。応援を呼ぶための冷静な判断だったが、数秒後には背に剣を突き立てられ仲間達に続いた。
 何か重大な違和感を感じつつ。ふう、とため息一つついてγは思案した。これからどうすべきか。
 帰る場所など無いが――。
「とりあえず、逃げるか」

 太陽の位置からして外は朝だったらしい。
 程なくして大騒ぎとなったルベルの館を尻目に、γは街の中に消えた。


 夕刻。領主の館の庭の薔薇園にγは佇んでいた。任務の事などは既に思考から抜け落ちている。何故ここに来たのかは自分でも説明が出来なかった。
「幻惑候の呪い、か」
 自分が世界から疎外されていることに気がついたのは館を脱出してすぐの事だった。一時的に姿を消すだけの魔法だったはずが、今では誰も自分の姿を見ることが出来ず。そして誰も自分の声を聞くことが出来ない。手鏡や水面にも自分の姿が映らなかった。
 自分を探す衛兵は自分の傍を素通りし、露天商の売り子は自分の声に気がつかない。人も馬も自分を避けて通るようなことはせず、物音を立てても不思議がられるだけで自分の存在には気がつかない。
「それとも、一族からの役立たずへの呪いかな」
「……どうしたの?」
 自分に向けられた少女の声。振り返ると怪訝な顔をした白の姫が立っていた。
 あの時と同じ赤玉石の瞳がγを呪縛する。
「俺が見えるのか」
「はい」
「何故?」
「わかりません」
「俺が怖くないのか」
「怖いです」
「何故逃げない」
「逃げてほしくないんでしょう?」
「君の名前は?」
「ネージュ・レヴィ=ブリュールです」
「俺はγだ」
 いつの間にかγはまるで騎士のようにネージュの前に跪いていた。ネージュは戸惑っていたが、すぐに微笑んで忠誠を受け入れた。
「私を殺した責任、取ってくださいね」
 彼女は、いつか言ってみたいと思っていた言葉を彼の耳元で呟いた。
「……ああ」
 自分は魅了の魔法でも使われているのだろうか。白の姫の姿を見るのが、そして声を聞くのが心地よかった。
 少なくとも、自分と世界を繋ぐのは彼女だけだった。

カウナス戦役 - 18


 ルベル・ゲーリング男爵の館には地下牢というものがある。
 一切の光の射さない闇の世界を、カンテラの光とともに二人分の足音が響く。
 トーガを着た牛蛙と陰口を囁かれるルベルが看守を従え、目的の牢へと向かう。
 鉄格子の向こう、その部屋の主はふてぶてしく寝転がっていたが、カンテラの光に反応して顔を上げた。
「ご機嫌は如何かね?」
 ルベルが下品な笑みのまま尋ねる。だが目は笑ってはいなかった。
「悪くは無いね。ここは寒くも暑くも無いし、雨露も凌げ食事つきだ」
 檻の中の若い男が軽口を返す。
「貴様の名前は?」
「さあね……、γとは呼ばれていたが。これは名前なのかな?」
「お前の雇い主は?」
「俺の教官だ。υと呼ばれている。どんな奴かは知らん」
「お前の所属は?」
「さぁ? 一族とか里とか呼んでいたが名前は知らん」
「お前は里は何処にある?」
「知らない。目隠しをされて馬で運ばれたからな」
「今までもか、この街にもか」
「そうさ」
「どうやって逃げるつもりだった?」
「迎えが来る予定だった。誰かはわからん」
「つまり何も知らないということだな?」
「そういうこった」
 若い男に笑顔でルベルは宣告した。
「よく解かった。お前は処刑だ」
「それだけは勘弁を」
 男爵は持っていたカンテラを暗殺者に叩き付けた。
「ネージュ姫を傷つけた罪は万死に値する……!」
 ぴくりとγが反応した。
「……あの子は死んだか?」
「心臓は貫通していない」
 そうか、と呟いてγは不貞腐れたかのように向こうを向いた。
「明日、お前の処刑を執り行う」
 それだけ言うとルベルは用は無いとばかり踵を返した。
 慌てて看守が代わりの灯りを点け主人に追従する。
 再び無音の闇の牢獄に一人残されたγは何事か呟いていたが、すぐに寝息を立て始めた。

 地下から戻るとルベルはベッドに横たわりつつウオッカを杯に注いだ。
 すぅーと一息に飲み干し、思案に暮れる。
 ビリニュスは典型的な城塞都市だ。外敵から身を護るために城壁が廻らされている。夜は城門は閉じられるし、昼も自由に出入りできるものでもない。秘密裏に入るルートは限られている。
 暗殺者を差し向けるだけの能力と動機を持ったもの。
「……ベルトリッチか」
 ルベルはそう結論付けた。第四軍の馬車にでも忍び込めば入ることは楽なものだろう。そして街から出ることも。
 ルベルはテーブルの上に散乱した書類から白の姫の肖像を取り出し、しばし眺めていたが、ノックの音がすると慌てて書類の中に隠した。
「誰だ」
「僕ですよ」
「若造か、入れ」
「何時になったら名前覚えてくれるんですか」
 苦笑しつつリューゼルが寝室に入った。貴公子然とした雰囲気のまま、足元に気をつけつつ椅子に座る。床にも書類の束が散乱してうかつに歩けないのだ。重要書類なので誰も寝室には入れない為、年々足の踏み場が無くなっていく。
「暗殺者は唯の鉄砲玉だった。明日処分する。で、ルーミスの動きは?」
「いつもどおりですね。いつもどおりを装っているのかもしれませんが」
「まあ、奴は腹芸するような性格ではないだろう」
 やる気の無さそうな肥満体の男の問いに、金髪の優美な行商人がテーブルの書類を整理しつつ受け答えた。
「それより、ネージュ様がお目覚めになりましたよ」
「何!? 速く言え!」
 立ち上がろうとしたルベルをリューゼルが手を上げて制した。
「もう日付が変った刻です。姫君は侯爵様とお休み中です」
「そうか……まあ喜ばしいことだ」
「随分とご執心ですね。エディト嬢やヴィットーリア嬢はいいのですか?」
 意外そうに、リューゼルは書類の整理の手を止めて言った。
「金でこんな醜怪な男に媚びる売女どもと姫を一緒にするな」
 自覚はあるのか……と苦笑しつつリューゼルは同意した。
「この姿はな」
 リューゼルの苦笑の意味を察し、ルベルはウオッカをまた注ぎながら笑った。
「呪いなのさ」
「呪い?」
「真実の姿はとても格好いい紳士様なのだよ」
「それなら僕と男爵はライバルですね」
 二人は吹き出し、笑いながら二つのグラスにウオッカを注いだ。
「姫君のために」
「カウナスのために」

カウナス戦役 - 17

「ルーミス殿。夜遅くこの雨の中をご苦労様です」
 クラウス・ゲーベンバウアー侯爵は、雨に濡れた赤い鎧と焦げ茶のマントの巨漢の騎士を、労う様に出迎えた。
「任務ですので」
 騎士は持成しを辞し、急使からの届け物を懐から取り出す。
 老侯爵は厳しい顔でその騎士からの封筒を受け取った。蜜蝋と正式印による封印、そして差出人名としてマリア・ベルトリッチの名前は侯爵を戦慄させた。
「……確かに頂きました。明日にはお返事致しましょう」
「確かにお届けしました。では明日に」
 礼をして踵を返し遠ざかる騎士。
 息子が生きていればあの位の歳だろうか。そんな事をふと思いつつ後姿を見やると、政務室の扉を閉じた。そのまま内側から鍵をかける。
「……」
 無言でマホガニー製の政務机に座り、引き出しをあけると金色の鋏が姿を現した。慎重に封を切る。
 中から現れたのは数枚の羊皮紙による文書。

 敬愛するゲーベンバウアー侯爵へ
 侯爵殿に帝国と皇帝陛下、その勅命である十万人徴兵令への叛意を噂するものがいる。
 根も葉もない噂だと判断していたがこのたび重大な証人が現れた。
 私ベルトリッチは貴公の帝国への忠誠に微塵の疑いも無く、貴公の立場を護りたく思う。
 ついては、調査の為アヒカール城塞へご足労をお願いしたい。
 よい返事を期待している。

「勘がいいのか……。揺さぶりを掛けに来たかな」
 手紙を読みながら、一人呟く。計画は周到だ。周囲には断片的な情報と命令しか与えず、ルベルとリューゼルしか全貌は知らない。
 ではベルトリッチは何処まで知っているのか。
 それが侯爵の疑問だった。自分の出方を見るようなこの手紙。恐らく確信がないのだろう。重大な証人とやらが本当にいるのならすぐさま自分を捕縛すればいいのだ。
(これがカードならば面白いのだがね)
 老侯爵に暗い笑みが浮かんだ。伊達に粛清狂いの先帝の治世を潜り抜けた自分ではない。彼はベルトリッチを高く評価していたが経験という点に於いては負けてはいない。
 この手紙はベルトリッチにとっては牽制の一手だろう。
 我々は牽制にすら翻弄される立場。カードの質は圧倒的に不利だったが、屑札がエースを屠ることもあるのだ。
(……だが今は時間を稼がなければならない)
 クラル海交易の合間にルベルは交易商ロリエから武具や弾薬、そして魔法の触媒を僅かずつ密輸していた。十分な数が揃うまでは動くことは出来ない。

 時間を確認すると侯爵は書類を片付け、窓の傍に飾られた白い花を手に取った。宴の席で倒れた白の姫を思い出す。
(……あの暗殺者もベルトリッチか?)
(リューゼルの血脈も知っている?)
 そうだとすればベルトリッチの嗅覚は尋常ではない。
「……ふ、まさか……」
 今日はもう眠ろうと扉を開ける。

「ただいま。クラウス様」
 扉の向こうには白い夜着を着た絶世の美少女が侯爵を待っていた。
「……おかえり。ネージュ」
 侯爵の裾をぎゅっと握り、身体を預ける。
「お傍に置いて下さいね。クラウス様」
 ここに来るために何か大切な物を捨てた少女の声と瞳。
「……お前の居場所はここだよ」
 いとおしげに髪を撫でながら彼女の願いを叶える。
 自分が若ければ狂おしい感情に身を焦がしたかもしれない。
 だが自分はクラウス様である前にゲーベンバウアー侯爵だった。
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